ピアノ楽曲 管弦楽曲 歌曲、宗教曲 リストの生涯 リンク
ピアノ協奏曲第1番 Piano Concerto Nr.1 Es-dur(S124)

解説

ヴァイマールの官邸楽長に就任した1849年にひとまず完成された。ところが発表はされずに1951年に手が加えられ、1955年2月にようやく初演となった。このときのピアノはリスト自身、フランスから訪れたベルリオーズが指揮をとった。その翌々年、ウィーンでも紹介されたが当時の音楽批評家に酷評されたため、ウィーンではしばらく演奏されなくなってしまった。
当時まだ軽音楽にした使われていなかったトライアングルが使用されたため、辛辣な批判の意味で?トライアングル協奏曲?と呼ばれた。協奏曲のような高級音楽にこんなものを使うとは下品だというわけである。古典協奏曲の形式枠では考えられない自由な演奏構成も批判された大きな理由となった。しかし今日では演奏効果にすぐれた、リストの作品の中でも特に親しみやすい傑作として、多くの演奏機会を得ている。
 

構成

古典的ソナタや交響曲のような4楽章の構成を持つ協奏曲として書かれてはいるが、全体で1つの壮大な楽曲となるように切れ目なく演奏される。

第1楽章 アレグロ・マエストーゾ Allegro maestoso
      (はやく威厳をもって)変ホ長調4/4拍子

第2楽章 クヮジ・アダージョ Quasi adagio
      (ごくゆっくり)ロ長調12/8拍子〜4/4拍子〜変ホ長調4/4拍子

第3楽章 アレグレット・ヴィヴァーチェ〜アレグロ・アニマート Allegretto vivace - Allegro animato
      (はやく行進曲風に元気よく)変ホ長調 4/4拍子


愛聴盤

スビャトラス・リヒテル(ピアノ)
指揮:キリル・コンドラシン/ロンドン交響楽団

録音1961年7月 ロンドン


リヒテルは1915年に生まれた旧ソ連最大のピアニスト。22歳でヴァイオリンからピアノに転向。ピアニストとしてデビューしたのは27歳と遅かったが、たちまちその遅れを取り戻して39歳でプラハの音楽祭に出演したときは、<現代のリスト>と絶賛された。

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