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すべての調性のための48の練習曲 Original Version of Transcendental etude 

解説

「超絶技巧練習曲」の第1稿ともいうべき、リスト15歳のときの作品である、この1926年に書かれた「12の課題による練習曲集」は、最終稿となった1851年のヴァージョンに比べると、ピアノテクニックは平易なレベルで書かれていて、まさに「超絶技巧練習曲」の原点といえる。

リストが12歳でパリに移住してから書いた最初の重要な作品で、当初「すべての調性のための48の練習曲」として構成されたが、実際に完成したのは12曲のみであった。

リストの「超絶技巧」の原点

リストはすさまじく大きな音から消え入るような弱音まで、恐るべきテクニックで表現できたと、ベルリオーズは語っている。

リストはピアノをほとんど誰にも習っておらず、唯一といっていい例外がチェルニーである。自己流でピアノを弾いていたリストは、かなりおかしな指使いで演奏していたといわれる。チェルニーは少年リストの天才ぶりに気付き、レッスン料はタダでよいから教えさせてくれと申し出た。

「超絶技巧練習曲」の第1稿には、チェルニーのピアノ体系の習得を見ることが出きるだろう。ちなみにチェルニーはベートーベンが育て上げたただ一人のプロ・ピアニストであり、その弟子のリストはベートーベンの直系ともいえる。
「超絶技巧練習曲」の各項比較

「超絶技巧練習曲」の最初の稿は少年リストの感性に驚かざるを得ないが、テクニックはチェルニー流が駆使されているものの、それを大きくはみ出てはいない。

第2稿は第1稿を下敷きにしているものの、演奏テクニック上も作曲上もすざまじい変貌を遂げている。はっきりいってやりすぎなほどに音の数が多く、楽譜を見ただけでピアニストはげっそりするかもしれない。他人がピアノ・テクニックを習得するための練習曲というよりも、リストが自分自身のテクニックの限界に挑戦すべく書かれた練習曲といえよう。

リストが40歳になって改訂した最終稿は1951年に書かれ、テクニック的には第2稿よりもずいぶん簡単なものになっている。技巧上は手を急速に広げたり縮めたりする第2番が、最も高度なテクニックを必要とされる。これは1947年に36歳でピアニストを引退したリストが、作曲に本腰を入れ始めたことにより、テクニックよりも曲に対する内面的な関心を深めていった結果が大きいといえるだろう。
愛聴盤

大井和朗(ピアノ)

録音2002年7月 東京

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