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亡き子をしのぶ歌

作曲:1900〜02年
初演:1905年1月、ウィーンでマーラー自身の指揮によりおこなわれた

テキストは詩人リュッケルトによるもの。「大地の歌」別にすれば、マーラーの歌曲で連作として書かれたのは「さすらう若人の歌」と本歌曲集の2つだけ。曲は技法的に「さすらう若人の歌」にくらべて、いっそうの円熟性を増している。

この曲は一時期、マーラーが愛娘の詩を動機として書いたと誤って伝えられたことがある。実際にはこの曲の完成した年にマーラーはアルマと結婚していて、まだ子供はいなかった。

素材はあまりに生々しく、マーラー自身も言うように、「当時子供がいたら到底書けなかった」かもしれない。しかしマーラーはこの後生まれた2人の娘を、次々と幼くして亡くしてしまう。後にこの事実に関して、「この歌曲集を自分が書いたのは、運命の無慈悲な挑発だった」と語っている。

初演は1905年に作曲者自身のもとで行われ、愛児の死という悲しみが、いっそう切実なものとなっている。


第1曲<いま太陽は明るく昇る> 

暗いホルンの前奏に合わせて、曲の中心となる暗い旋律が歌われる。この旋律は何度か繰り返し登場して、父親の傷心を表現する。

‘いま太陽は明るく登る、夜には何事もなかったかのように
不幸は私だけに起きたのだ’


やや速度を速めた情熱的な間奏のあと、もとのテンポによる最初の旋律で

‘私の居間でか細いランプの明かりが消えた
この世の喜びの光に幸いあれ’

とさびしく歌い終わる。

第2曲<いま私には分かるのだ> 

やるせない絶望を表すモチーフが現れ、声がそれを引き継いで歌ってゆく。しばしば転調が重ねられ、悔やみの思いが濃くなってゆく。

‘今わたしにはわかるのだ、なぜあんなにも暗い炎をお前たちが私にほのめかしたのか
おお目よ!そこにこそお前たちの精一杯の力がこめられていたのだ’


第2節の後半で小さな盛り上がりがくる。

‘わたしは日常の忙しさのために気付かなかった
その光がすでにかなたの、あらゆる光のふるさとに帰るしたくをしていたことに’

最後は低弦のピツィカートのさびしい響きとともに終わる。

第3曲<お前のお母さんが入ってくると> 

重いチェロのピツィカートの上をイングリッシュ・ホルンの哀切な旋律が流れる。
歌の出だしで4/4拍子から2/3拍子に変わり、すぐに4/4拍子に戻る。このような拍子の交代は頻繁に行われ、揺れ動く悲しみのこころを反映する。

‘お前の母さんが戸口から入ってきて、私が振り向くときまず探すのは
母さんの顔ではなくもっと低いところ
お前の顔があるはずのところだ
娘よ、お前がいつもはしゃぎながら入ってきたときにあったはずの’


最後は

‘おまえ、おまえ、父の宝
あまりにはやく消えてしまった喜びの光’


で頂点を築き、次第に力を落としてゆく。

第4曲<子供たちはちょっとでかけただけ> 

「静かな感動をこめて、急がずに」ゆったりと歌が始まる。

‘子供たちはちょっとでかけただけ、そう私は考える
そのうちまた家にかえってくるだろう’


‘天気はよい!心配しなくてもいい!’

で新しい旋律が出て、ほぼ同じ形の第2節へと続く。

第5曲<こんなひどい嵐の日には> 

激しい嵐を描く全奏が17小説に及んで流れる。その吹きすさびの中で

‘こんな嵐の日には、こんな荒れた日には
私はけっして子供たちを外へは出さなかったものだ’


と感情的な歌が始まる。


ひたすら激しく曲は続き、最後の節で「ゆるやかに、こもり歌のように」なって安らかに終わる。

‘あの子たちは母の家にいるように安らいでいる
雨にも風にも脅かされずに
神様の手にしっかりと守られながら’


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