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大地の歌

作曲:1907〜09年
初演:1911年11月、ミュンヘンでブルーノ・ワルターの指揮によりおこなわれた
出版:1911年(ヴォーカル・スコア)、1912年(フル・スコア)、共にウニヴェルザール社


この作品は交響曲の範疇からは大きく逸脱していて連作歌曲の色合が強く、交響曲としての番号もつけられなかった。しかしこの曲は一種の交響曲であり、副題には交響曲と明記されている。9番という不吉な数字を嫌って、通し番号をつけなかったというのが定説だが、「大地の歌」というタイトルが示すようにこの曲はリートと歌曲の融合であり、交響曲とも違った新しいジャンルを目指したものと見るのが正解ではないだろうか?

実際この曲はリートと交響曲の融合を常に行ってきたマーラーがたどり着いた、最後の到達点であり、歌唱のパートは管弦楽の一部でもあるかのように、しっかりと曲に溶け込んでいる。

独唱は第2,第4,第6の偶数楽章にアルト(もしくはバリトン)、第1、第3、第5の奇数楽章にテノールとなっている。そして第2,第6楽章では悲しみ、孤独、迫り来る死が歌われ、第3、第4、第5楽章では反対に青春、美、酒の陶酔が歌われる。

中国の詩「シナの笛」をテキストにしたこの曲は、当初はオーケストラ伴奏付きの歌曲として着手されたものだった。また、マーラー自身の編曲による、ピアノ版も存在する。




第1楽章≪大地の哀愁を歌う酒の歌≫ 

重いマーチのリズムでホルンの勇ましい旋律(1_1)で始まり、続いて弦の旋律(1_2)が来る。
 1_1
 

 
1_2
 


そしてテノールが歌いだし(1_3)、この楽章のライトモチーフともいえる「生は暗く、死もまた暗い」という句が何度も反復される。

 1_3
 


「この家の主、金の酒蔵、ここに僕の琴がある。琴を奏で酒をかわそう。時を経た満杯の酒は世界の全ての王国に勝るものだ」と酒の喜びを歌うが、結局は「生は暗く、死もまた暗い」

と結び、続いて

「空は青く、大地は永遠に揺らぐこともなく、春になれば花が咲きほこる」

と歌い、

「しかし人間は100年と生きることは出来ず、はかなさのうちに暮らすだけ」

とまたしても悲痛な叫びになり、最後に冒頭のホルンの旋律(1_1)が来て曲は終わる。

第2楽章≪秋に寂しき者≫

秋風を思わせる旋律が流れ、それにオオーボエがかぶさってくる(2_1)。そしてこの旋律がフルートで繰り返されたあと、アルトが「秋の霧が湖をおおい、草は霜に覆われている」と歌いだす(2_2)。

 2_1
 

 2_2
 

さらに独唱は美しい湖の情景を歌い続ける。

 2_3
 

第3楽章≪青春について≫

木管による5音階の中国風の旋律(3_1)で始まる。

 3_1
 


「小さな家では友達が座って酒を飲み、語らっている」

と楽しげな調子で歌い続け、落ち着いたところで

「小さな池では全て逆さまに写っている。不思議だなぁ」

と水面の情景が歌われる(3_2)。

 3_2
 

第4楽章≪美について≫

フルートとヴァイオリンが旋律を奏でた後、アルトが乙女たちの情景を歌い、第3楽章の主旋律(3_2)と関連のあるメロディ(4_1)が流れる。

 4_1
 

荒馬にまたがる少年を歌う中間部ではテンポがダイナミックになり、やがて再び、美しい乙女たちを歌う旋律でしめくくられる。

第5楽章≪春に酔える者≫


「生がひとつの夢にすぎないのなら、なんのための骨折り苦労だろう。僕はもう飲めなくなるまで一日中酒を飲んでいよう」

酒を歌った詩が使われているが、無条件に酒を賛美しているのでないところがマーラーらしい解釈。

第6楽章≪告別≫

6つの楽章の中では特に長い。現世をあきらめながらも大地を讃える最後の賛歌。
冒頭でマカロニ・ウエスタンの音楽の原点のような旋律(6_1)が流れる。

 6_1
 


「小川は闇の中で心地よく歌い、花は黄昏に色あせてゆく。大地は憩いの中で眠りにつく」

「春になると大地のいたるところに花が咲き。新たな緑が栄えるだろう」

最後は独唱がこの上ない美しい響きで大地の栄えを歌う。


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