マーラーとロラー
1962年3月のラジオ対談より
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あなたは舞台装置家のアルフレート・ロラーを、マーラーにとってなくてはならない存在としていますね。
アルマ
ロラーはいつもマーラーと結びついていました。少なくともこの天才の活動を始めたばかりの頃は。ローラーにとってとても価値のあることだったでしょう。おかげでマーラーはウィーンに縛られることになりました。よくあることですが、才能のある芸術家2人が出会うと、お互いが強烈な自己主張をするため火花を散らしあうものです。

ロラーはマーラーと違っていつも冷静で、隙をみせることがありませんでした。でも本心を覗かせない仮面の裏には、とても鋭い感性を隠していたのです。人に対して辛らつな態度へ平気でとりかねないマーラーですら、彼と接するときは慎重でした。ロラーとマーラーが一緒に築き上げたオペラはとにかく素晴らしいもので、2人はあらゆる方面から絶賛されました。実際、それは奇跡としかいいようがないくらいで、私はそのひとつひとつに陶酔させられたものです。

あるときバレエの企画を立てたロラーが、マーラーの執務室にやってきて振り付けを自分でやってみたいと申し出たことがありました。マーラーはあっさり承諾しましたが、結果としてロラーはウィーン官邸のバレエ長を怒らせてしまいました。ロラーはバレエ長をまったく無視して事を進めたため、バレエ長は話と官邸長のところへ持ち込んだのです。官邸長長官はマーラーに出頭を命じました。ロラーの単独行動が、マーラーの官邸オペラでの立場を危ういものにしてしまいました。
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それでもあなたはロラーをかばっていますね。
アルマ
芸術家としての彼は評価すべきだからです。彼が初めて担当したのは、ワーグナー没後20周年記念の≪トリスタンとイゾルデ≫でした。マーラーと共同で製作したこの舞台はとても革新的で、長い間オペラの鑑とされてきました。

翌年には≪フィデリオ≫が上演されましたが、このときマーラーは「レオノーレ序曲第3番」を牢獄の場面とフィナーレの間に入れました。今では「レオノーレ序曲第3番」をここ以外で流す人はいないでしょう。囚人たちが薄暗い地下牢から這い上がってくるシーンの素晴らしさといったら!

その次にモーツァルト生誕150周年記念のシリーズが上演され、≪ドン・ジョバンニ≫は「ロラーの塔」で有名になりました。この塔はステージを2つに分けていて、どの幕にもそのままの形でつかわれました。騎士長の家の柱であったり、エルビーラのバルコニーの支えだったり。この「ロラーの塔」は賛否両論でしたが、マーラーは着想にとても感激して、≪後宮からの誘拐≫でも使っていました。
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生誕150周年記念では≪フィガロの結婚≫も上演していて、ここでマーラーがやったことは大胆というよりは気違いじみていると、批評されました。
アルマ あの当時は舞台で新しい試みを行っても理解されませんでした。マーラーはマルツェリーナの訴訟の場面で、原作からセリフを抜き出し新しいレチタティーヴォを作曲しました。彼は自分でチェンバロを弾いて伴奏までしたのです。この変更に賛成しない批評家は大勢しました。しかしそれがなんでしょう!マーラーはモーツァルトを冒涜したわけではないのです。

この試みには批評家だけでなく、歌手たちも真っ向から反発しました。≪トリスタンとイゾルデ≫のときには、マーラーとロラーの指示に従おうとしない歌手もいましたね。ある女性歌手などはヒステリーを起こしたために、マーラーはそれをなだめなければなりませんでした。



━━━ 芸術的なものと人間的なものを切り離すのは難しいでしょうね。
アルマ それを切り離すことなど出来ません!芸術と生命が結び合わなければ、良い結果など生まれるものですか!マーラーとロラーの後を継いだ歌劇場は、豊かな幻想と理念をダメにしてしまいました。今でこそいえることですが。

マーラーとロラーの2人はとても個性的で、それがしっかりと結びついたことで芸術上、画期的な成果が生み出されたのだと私は思っています。

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