マーラーとブルックナー
1962年3月のラジオ対談より
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マーラーとブルックナーの特別な関係とは、なんなのでしょう?
アルマ
例の恐ろしい迷信ですね。ブルックナーは「交響曲第9番」でベートーベンを強く意識しました。そしてベートーベンもブルックナーも、「交響曲第10番」を完成させられずに世を去ったのです。
マーラーは「交響曲第8番」を完成した後、9番目の交響曲を作曲するときになってパニックに陥りました。
「大地の歌」のスケッチは出来上がり、「亡き子をしのぶ歌」も3曲は完成していました。しかし「交響曲第9番」を書き上げてしまったらその次にくるものは…2人の先人と同じように死が待っているのではないかと、彼は考えたのです。

彼は「大地の歌」を交響曲と名付けませんでした。「交響曲第9番」を書き上げたときこれは実際には「交響曲第10番」なんだといっていました。なぜなら「大地の歌」が9番目の交響曲なのですから。そして彼もまた「交響曲第10番」を仕上げることは出来ませんでした。
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マーラーはブルックナーを師とみなしていましたか?
アルマ
ブルックナーは「自分はマーラーの音楽上の父だ」と何度もいっています。マーラーはブルックナーが亡くなってから、彼の命日には喪に服するようにしていました。マーラーは彼の写真をいつも鞄に入れていて、演奏前にはそれに口付けしていました。

ブルックナーは1896年に亡くなりましたが、マーラーの交響曲を聴いたことはないはずです。死の数年前に最初の2つの交響曲の抜粋を目にしただけです。
しかしマーラーはブルックーを尊敬し、彼の音楽を溺愛していました。マーラーは彼の弟子ではありませんが、その使途でした。ブルックナーに魅せられていたのは、彼の交響曲に見られる大胆な精神力、そして巨大な宗教性でした。
マーラーは精神力の部分を受け継いでいます。それがリヒャルト・シュトラウスとの違いでしょう。マーラーの音楽において、それまでの伝統や形式はほとんど無視されていますが、それは新しいものを生み出そうという強い意欲から出たものなのです。

ブルックナーはこの新しい方向性を本能的に生み出しました。マーラーはそれを受け継ぎ、それに彼の強い自意識と実験精神を加えたのです。
ブルックナーの音楽には、平凡な人間が神へ至る道、現世の苦しみから救済へ至る道が示されています。マーラーの場合、加味から平凡な人間へ至る道、人間をより高い存在として扱う道が示されています。

残念ながらマーラーの仲間たちですら、それを意識しようとはしませんでした。マーラーのようなユダヤ人と、ブルックナーのようなカソリックを比較することは、恐ろしいことだと考えたのでしょう。
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