マーラーと死について
1962年3月のラジオ対談より
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マーラーは「人の死は恐ろしい事実なだけでなく、挑むべき課題だ」といっています。これを私たちはどう理解すればいいのでしょう?
アルマ
マーラーは自分の死を意識しないで過ごした日は1日としてありませんでした。彼はとても信神深い人でした。
彼はなにか本を読んで、地球の歴史的な長大な時間の流れからみれば、生物の歴史は始まったばかりであり、生殖によって繁栄する生物にだけ死があるのだといっていました。自分が単細胞生物なら、自己分裂して生き延びられれるのに…とも。アメリカからヨーロッパに帰る数週間前のことです。
そんな冗談をいうのはとてもめずらしいことで、たいていは打ちひしがれていました。でも死に対して憧れる気持ちもあったようでした。可能な限り死後の世界を、よりよい世界だと考えていましたから。
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彼は何か解決すべき問題を抱えていたのでしょうか?
アルマ
つまり彼は人間だったということです。いいかえれば不完全な人間だったのです。かれには目的意識がなく、もしかしたら死が唯一の目的だったのかもしれません。彼の生涯の活動は死に対する準備でもありました。
そんな嫌世観の一方で、楽観主義の一面もありました。友人であり、師匠でもあったハンス・フォン・ビューローの骨壷に「復活!キミは復活するのだ」と書いていましたから。

マーラーの抱えていた様々な問題…
そう、彼は様々な問題を抱えていました。でもいわせていただけば、芸術にたずさわる人間で問題のない人などいるでしょうか?問題なくして芸術はあり得ませんし、天才も生まれないのですから!
マーラーの生涯の大部分は戦いの連続で、人生を楽しむなどということはほとんどあり得ませんでした。でも誤解しないでください。かれは官能というものを深く感じられる、性的な愛しかたのよく分かる人でもありました。
ただ、たいていの場合、あと一息の押しがかけていましたけれど。

私たちはすべての点で心が一致していましが、死に関してだけは私を越えていたようです。
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ブルーノ・ワルターは、「マーラーの閉ざされた心に、奇妙な不死の観念を感じた」といっていますが?
アルマ それは正しくもあり誤解でもあります。彼は自分の腑弱な肉体を、魂とその表現力が超えられないことに耐えられなかったのです。
そういえば、彼は医者をとても恐がっていました。当時は医者といってもほとんどが素人でしたから。一度、アメリカにいる頃に瀉血してたのですが、血がベッドから飛び散ってマーラーは大変くるしみました。それから二度と瀉血させたがりませんでしたが、それでもこの処方に身を委るしかなかったのです。

話がそれましたが、閉ざされた心ですか…マーラーは決して心を閉ざしていたわけではありません。むしろ心を開こうと勤めていましたし、いつでもそうあり得たのです。
しかし、ウィーンやニューヨークで彼が受けた身体の苦痛や緊張は、とても生易しいものではありませんでした。今の言葉でいうなら…、そう、ストレス!彼は絶え間ざるストレスの中にいました。ストレスから開放されたことは一度もありませんし、ストレスによって死に至ったのです。

不死の観念に関しては、今いったような理由から、自分の死を不死へ繋げようとしたのかもしれません。酷使され、疲れきった肉体から魂を抜き出して天国へ参入するというような…
━━━ 彼はフロイト(オーストリアの心理学者)の診察を受けましたね?
アルマ この診察に価値があったとは思えません。マーラーがフロイトから受けた印象も、それほどのものではありませんでした。フロイトのおかげで助けられたわけではありませんから。マーラーとフロイトの関係については、私はほとんど価値がないと考えています。
マーラーは若いころから常に自己分析を続けてきた人です。ですからフロイトの診察など必要なかったのです。
━━━ マーラーの最後の言葉は「モーツァルト!モーツァルト!」ということですが、これは?
アルマ モーツァルトを好まないひとなどいませんよね。この天才の才能に疑問を持つ人は、世界でもっとも救いようのない人に違いありません。彼の最後の言葉はこのようなものでした。
マーラーはモーツァルトの病歴に関心を抱いていて、彼が余命いくばくもないと悟ったとき、自分とモーツァルトのあいだにいくつかの共通点をみつけたのでしょう。この2人は音楽そのものでしたから。
それとマーラーが口にしたのは「モーツァルト…!」です。あれほど可愛らしく、心のこもったやさしさを感じさせる言い方は聞いたことがありません。彼は天国でモーツァルトに会えると思っていたのでしょう。
もし他の誰かがマーラーと同じ臨終の言葉をいったとすれば、それは心から大きな喜びをもって共感したからでしょうね。マーラーはこの天才を聖者に相応しい人物とみていました。

彼はとても長く死と戦わなければなりませんでした。医師からは病室に入るのを禁じられていましたが、控え室には彼の悲痛なあえぎ声が聞こえてきました。それが突然静かになったのです。マーラーは何時間ものひどい苦しみの後、ぼろぼろになった肉体から解放されました。
私は呆然としましたが、これで受難が終わったのかと思うと、ほっとする気持ちもありました。
━━━ 今日の医学水準では、ペニシリンを少し注射するだけで助かったと思われますが…
アルマ そんなことを考えても仕方ありません。同じことはモーツァルトやウェーバーにもいえるでしょう。
マーラーの終焉は運命でした。彼は骨と皮になるほどガリガリにやせていたのです。二人の看護人が彼を別のベッドに運ぶとき、裸の彼を抱き抱えたのですが、その時の彼の顔は死人のように青く、目だけがしっかりと輝いていました。
その美しさはまるでキリストの埋葬のようでした!まさしくそうだわ!救世主は死ななければならなかったのです。
━━━ マーラーの遺言とはなんだったのでしょう?
アルマ 一言でいうのは難しいですね。
ひとつだけいうなら、彼は死を目前にしてシェーンベルクのことをよく語っていました。「彼を助けてやってくれ!僕が死んだら誰も彼に手を差し伸べるものがいなくなってしまう」と。いわれた人たちは何でもするとマーラーに約束しました。
彼は新しい音楽の道をシェーンベルクに期待していたのかもしれません。そうやって未来の音楽への橋渡しをつとめたのです。
━━━ 生前の彼は、自分が理解されないとこぼしていました。
アルマ それでも彼は自分が勝利すると確信していたはずです。創造的な人間、天才はすべてそう予感しています。

確かに彼の交響曲はあちこちで冷たく迎えられ、重い気持ちを抱いていたのは事実です。そのため勝利を味わうことはないといいました。それでもいつかは勝利すると確信していたのです。

私は今、生きてマーラーの勝利を味わうという恩恵を、運命によって授かっています。私は彼にとって第2の自我でした。彼は私と共にいて、私が体験している勝利を彼は味わっているのです。

グスタフ・マーラーは今も行き続けています。私の中で!彼の友人たちの中で!そして増え続ける彼の崇拝者たちの中で!

彼の時代がついに来たのです。


マーラーの墓


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