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ワイマール宮廷楽長時代 (1848-1858年)
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なぜピアニストから宮廷楽長になったのか
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官邸楽長としての報酬
芸術に対して強い関心を持っている大公妃マリア・パブロヴァと、アレクサンダー皇太子の妃ゾフィーの手許金から支払われた。1848年は 1,500ターラー(約1,500万円) 翌年は330ターラーと急激に落ちている。1958年までの10年間、330ターラーから1600ターラーの間であった。 リストはこの金額に対して、「タバコ代にしかならない」と文句を言っていた。 |
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楽長の仕事内容 官邸楽長としての仕事はなにかというと、まずは 官邸演奏会の企画と指揮 である。官邸劇場ではオペラとオーケストラ・コンサートが行なわれた。そのため官邸管弦楽団の監督と男性合唱団の練習は重要な職務であった。 リストは楽長時代の10年間に43作のオペラを指揮したとされているが、具体的な記録が残っていないため、彼がどの作品をどれくらいの頻度で演奏したかは、はっきりと分かっていない。 1857年、アーヘンの音楽祭で指揮するリスト さらに大公妃マリアには作曲の個人レッスン、皇太子の妃ゾフィーには週4〜5回の歌のレッスンを行なった。 また、リストは王室関係者の生誕記念式典、婚礼、葬儀にたちあうことも求められた。 |
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作曲家として--4つの祝典
作曲家としてはオペラの上演よりも特定の機会のための祝典のほうが重要だった。リストが就任していた10年間の間には、4つの大きな式典が催され、それぞれの祝典のためにリストは作品を発表している。 1849年のゲーテ記念祭 → ゲーテの戯曲≪「タッソ」の上演のための序曲≫。これは後の≪交響詩2番、タッソ≫である。 1850年のヘルダー祭り → ≪ヘルダーの縛られたプロメテウスへの合唱曲≫が演奏され、この作品の序曲が後に≪交響詩第5番、プロメテウス≫になった。このときは「ローエングリン」の世界初演がリストの指揮で行なわれている。 1857年のゲーテ像、シラー像、ヴィーラント像の除幕式 → ≪ファウスト交響曲≫≪交響詩12番、理想≫≪シラーのテキストによる合唱曲「芸術家に寄す」第3稿≫が初演されてた。 1859年のシラー生誕100年記念祭 → リスト唯一の管弦楽によるメロドラマ≪百年前に≫ |
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同時代の作曲家に対する積極的な支援 比較的安定した待遇にいるリストは、同時代の作曲家に対して積極的な支援を行なっている。ヘルダー祭りのときにワーグナーの「ローエングリン」を演奏したときには、46回ものリハーサルを行なうという念の入れようだった。ワーグナーはこの作品をリストの献呈し、送付のマニュスクリプトを送っている。 晩年にはかなり不遇だったベルリオーズの作品もワイマールで演奏している。1852年11月と55年2月にベルリオーズ音楽祭が催され、オペラ≪ロミオとジュリエット≫≪幻想交響曲≫≪キリストの幼時≫などが演奏されている。55年2月のときには、リストの≪ピアノ協奏曲第1番≫が、リストのピアノ、ベルリーオーズの指揮で初演された。 1852年11月にはシューマンの≪マンフレッド≫、1855年4月に同じくシューマンの≪ゲノフェーファ≫を演奏している。 こういった演奏活動にあたって、聴衆の理解をうながすために関連した著作を発表している。「リヒャルト・ワーグナーのローエングリンとタンホイザー」、「ベルリオーズと彼のハロルド交響曲」、そしてシューマンに関する著作。この3人以外にもグルックの≪オルフェオ≫が上演された6日後には「グルックのオルフェオ」を発表、54年にウェーバーの≪オイランテ≫が上演されると「ウェーバーのオイランテ」を発表、同じ54年にシューベルトの忘れられていたオペラ≪アルフォンスとエストレッラ≫の世界初演を行なった2ヶ月後には≪ューベルトのアルフォンスとエストレッラ≫を発表している。 |
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安定した生活の中だから行なえた作曲と執筆活動 ワイマール時代の作曲活動と執筆活動は、官邸楽長としての活動と密接に結びついている。この活動は、リストが理想の音楽活動を進めていくうえで不可欠な要素だったと言えるだろう。そしてその理想のためには、官邸楽長として体制側に身をおくことも仕方なしと考えたのだろう。 実際、同時代の著名な作曲家たちがどちらかというと惨めな生活を強いられるなかで、リストはかなり安定した生活を送っている。そこから時間的な余裕が生まれ、彼はゆとりを持って作曲や著作に取り掛かれたわけである。 |
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